后汉(Eastern Han) 银锭半截(150.76g) ”中元二年”(纪元5年)”考工所造”阴刻※(伝)民国11年(1922年) 山东省青州府东门外出土品 5本の内の1本内藤湖南(虎次郎)氏旧蔵品 元日本货币协会会长利光三津夫氏旧蔵品 返品不可 要下见 Sold as is No returns 美品,掲出の银锭は「古货币夜话」(利光 三津夫著)第18话”中元二年の梦”に採りあげられた现品である。この品が日本に输入されたのは大正11年(1922年)の顷で、大坂古钱雑志社「古钱」(六の八)によると、それは山东省青州东门外出土という由来がつけられていたという。「中国歴史银锭」(建立编)「中国银铤」(张恵信著)によれば、この时に出土した银铤は计5本で、その内訳は长方形が3本(内一本は完全品)、舟形が2本であり、中国の货币史専门家彭信威が2本ないし3本を所有し、残り2本が日本へ流出した。完全品の1本(403g)